寺庭のつぶやき

大切にしていること・・・

2018-04-02
 「時は金なり」ということわざがあります。時間はお金と同じように貴重なものだから無駄にしてはいけないという戒めですが、ある人は、無駄なことをすることによって学びがある・・とも聞きます。矛盾した相反する考え方は、とても意味深いものです。
 
 誠実であることは、人間関係においてとても重要なことです。けれども、誠実であり過ぎると、融通の利かない堅物人間となってしまう場合もあるのではないでしょうか。そんことを考えますと、世の中矛盾だらけです。
 
 時には遊ぶ時間が必要だと感じます。遊び・・は一見無駄な時間に思えますが、遊びを考えることはかけがえのない時間であり学びの場であると思います。春休みも残り数日・・家族で、孫中心の遊びに出かけました。
 
 遊び・・と一言では言いきれないほど、世の中には様々な施設があります。学びの場であり、しかし三世帯で楽しい時間を共有できることを優先して遊びを考えることは、重要な要素です。出かける場所を決めるときは、毎回篤くなり過ぎて娘と口論になるほどです。その様子に呆れる男性たち・・けれども、その時間もとても貴重だと思います。
 
 何よりも大切なのは、無駄な時間・・なのかもしれません。

奇想天外な・・・

2018-04-01
 私自身は奇想天外な発想力があるという意識はありませんでした。ある時、何かを思いつくと、住職にあ~してみたい・・こ~してみたい・・と思いついたことを話、話したことを実現する確率も低くはありません。
 
 「思いついたの・・」と話、「何を思いついたか当ててみて・・」とお決まりなセリフを言ってみても、「君の考えが僕に分かるわけないだろう・・」と寂しい言葉がかえってきます。そんな会話が続くある時、私の発想は変わっている・・と言うことに気付きました。
 
 この発想力によって、池坊自由花を生けようと思いますと、発想は良くてもまとめることができず、落ち込むことが多々あります。負けん気が強いだけなので、自分が考えたものをどのように実現するのか・・経験値と緻密な計算能力がないことは致命的です。ところが、自分の致命的な欠陥を知ったために、多少慎重に考えるような思考に変わってきたのは、お花を学んでいるからだと思います。
 
 何事も発想力だけでは実現しないことが多いものです。けれども、自分の考えに賛同してくれる仲間を作り、様々な知恵を絞り、志を高くもって、批判されることを恐れない強さがあれば、実現することも多いと思います。
 
 必要なことは、人々の心を動かす何かを考えること・・今日から新年度がスタートしました。今年の目標は、温めてきたことを着実に現実して行くことです。

その道のプロに・・

2018-03-31
 低年齢化した自殺・引き金になるいじめ・貧困・虐待、昔もなかった話ではないと思いますが、現代の闇は深く静かに進行しているようです。
 
 義務教育に道徳の授業が加わり、何を基準に成績表をつけるのか?という議論があります。しかし、教員になるためにそれなりの知識はあるかもしれませんが、なぜ道徳のプロに授業を任せる・・という提案がされないのか不思議です。
 
 日本には様々な宗教があります。宗教こそ道徳の宝庫であると思います。小学生になれば、善悪の区別はついています。難しい話は理解できないかもしれませんが、多感な時期だからこそ、様々な宗教の話、または、大学の教授などの講演を聞かせるなど、第一線で活躍されている方の話を聞く機会を作るということはできないのでしょうか?校長先生を中心とした内輪で試行錯誤するのではなく、外部から何らかのアプローチができるシステムを作るべきではないかと感じます。
 
 先生方の労働時間問題がありながら、クラス単位という個別ではなく大きな枠を抱えることは、担任の先生の負担が増えるのではないでしょうか・・
 
 これからの時代は、奇想天外な発想が求められると聞きます。日本にとって教育現場が、未来の鍵を握っていると思います。多くの教育者が思考錯誤されていることも想像できますが、日本人独特の様々な因果関係を打ち破る指導者は現れないものでしょうか・・

錯覚・・

2018-03-30
 「終活」という言葉だけが独り歩きをしているように思うのは私だけではないと思います。私の身近にいる独身の高齢者、お子さんがいっらしゃらない高齢者夫婦・・終活について考えていない方はいませんが、根本的な生死観が欠落しているように感じます。
 
 生死観が欠落・・というと批判的に聞こえるかもしれませんが、生死観を想像する必要がないほど日本という国が豊かであるということだと思います。寿命が延びたということも「死」は遠くのものであるのかもしれません。
 
 子供に面倒をかけたくない・・と言うことも、TVなどで煽る傾向にあり、それがごく自然のことのように思われていますが、子供が親の面倒を見ないということは、自然なことなのでしょうか・・
 
 陰陽という自然の摂理を考えますと、良きことの裏に必ず悪いことがついていて、それは表裏一体であるということを意識していない方は多いと思います。私自身も、東円寺の古文書や歴史に触れる機会を与えてもらったこと、また、花道や精神対話士として学ぶことによって、陰陽についての知識が深まっただけです。なぜ、人は生まれ、この世を去る宿命があるのかを、真剣に学ぶ場が、義務教育の課程にないことは、人として生まれた意味深さを知らずに人生が終わることになると私は思います。それは勿体なく感じます。
 
 「終活」とは、財産や墓地などの心配ではなく、人として生まれ死に行くとき、残された人生を誰とともに生きるのか・・誰のために生きるのか・・そして誰に看取られたいのか・・ということではないでしょうか。それは、時には業者かもしれません。親戚や知人もいない・・担当してくだる方の人間性が気に入りその方に自分の人生をしまってもらうというのも方法の一つかもしれません。しかし、なぜ孤独・・な人生を選ぶことになってしまったのでしょうか・・
 
 これほど便利な時代になったのに、孤独・・・という言葉もよく耳にします。「生きる・・」ということは、目先に起こる幸福に飛びつくことではなく、時には面倒な人間関係に振り回され、ストレスを感じ、けれども、その経験によって人と人の交流が生まれ、人の暖かい心に触れることができるのだと思います。なぜか、「幸福」というのは、幸福だけが存在するように錯覚させますが、幸福の裏側に「不に対する努力」があることを掘り下げる教育が必要だと強く感じています。

新年度に向けて・・・

2018-03-29
 娘が結婚してから、あっと言う間に6年の歳月が経とうとしています。子育ては若い方が良いという私の持論があり、娘夫婦もその考えに賛同してくれたのでしょう??年子で可愛い孫を生んでくれました。
 
 赤ちゃんからある程度物事が理解できるようになるまで、娘なりに必死だったようです。最近は、子育てに慣れてきたようで、今までの反動もあり、私の一言一言がイライラするようです。衝突することもありますが、冷静に考えますと、孫が成長してくれているので、少しずつ生活が変化しているようです。
 
 しかし、生活と言うものは時間に流されるものですから、孫の成長によって生活が変化していることに気付くことは難しいことです。けれども、幼稚園は春休みになり、上の子は年中に進級、下は年少さんに進級します。孫は子供社会の中で、1年学年が上がることを理解しています。幼稚園のお便帳や絵や工作の数々を片づけることも、子供の成長を感じ嬉しい反面、どのように片づけるようか・・と娘は頭を悩ませていました。
 
 数日温かい日が続いていますので、生活スタイルも冬から春仕様に・・と、私が無性に掃除をしたくなると、そのスイッチの入り方が嫌だ・・・という娘の言葉に耳を貸さず、今日は大掃除をしました。いつものことですから、娘も諦めて手伝ってくれました。片づけをすることによって、孫の成長を感じる時、生活が変化していたことを感じましす。
 
 時代の変化と言うものも、敏感に感じられるよう心がける必要があるようです。スマホの普及によって人々の生活はスマホのなかった時代とは比べ物にならないほど加速しています。時代に逆らうことはできませんが、時代に流されることなく、自分の価値観を忘れることなく、便利なものを上手に使う・・・理想通りに行かなくても、心がけることが大切であると感じます。