寺庭のつぶやき

お野菜を・・

2017-12-19
 昨日午前中のお花のお稽古の後、住職と埼玉の親戚のお宅へ白菜をいただきに行きました。サントウ菜という白菜で、それはそれは大きな白菜です。毎年この時期に伺っています。
 
 白菜だけではありません。ほうれん草やブロッコリー、サニーレタスなど、車の荷台いっぱいにお野菜を頂戴します。
 
 お野菜をくださるお気持ちと、何かの理由がなければ伺えませんので、とても貴重な時間です。お互いに年を重ねていますので、怪我や病気がなく顔を見られることは幸せなことです。奥様は、畑で転んで骨折されたそうです。けれども、少しずつ回復されている様子をお聞きし、お互いに怪我に気を付けましょう・・と慰めあったりしました。
 
 今日は、昨日いただいてきたお野菜を調理したり、下ごしらえしたりしました。毎晩氷点下です。昨晩住職は、いただいてきた野菜たちが凍らないようにお布団をかけいました。冬の寒さは、何かとひと手間かかります。

今年最後の生涯学習・・

2017-12-18
 お花の流派もたくさんあります。たくさんある流派の中で、私は偶然というべきなのでしょうか・・必然だったのでしょうか・・池坊を自分から選んだ訳ではありませんが、ご縁あって現在に至ります。
 
 どこの流派も基本的な考えは同じだと思います。また、自分の流派が一番であると思えることは、素敵なことです。けれども、アレンジメントと同様に扱わることは抵抗を感じます。お花を生ける・・という意味では同じかもしれませんが・・
 
 ご縁あって生涯学習にお越しくださっている方には感謝の気持ちでいっぱいです。皆さんに池坊の花道をお伝えしたい・・と思ってお話させていただいていますが、私が一番学ばせていただいてると感じるからです。
 
 岡田紅陽写真美術館の2階からは雄大な富士山を眺めることができます。しかし、お教室にいる方は皆、目の前に置かれているお花と向き合い、教室は程よい緊張感に包まれています。その集中した時間が心地よいそうです。真剣な眼差しでお花と対話している姿に感動します。今年度最後のお稽古が無事に終わりました。

3日連続・・

2017-12-17
 今日はお花の研究会でした。私は、先先週八王子でお勉強会に参加させていただいたので、生徒さんが参加してくれました。昨日、今日、明日・・3日続けてお花のお勉強です。
 
 お花のお稽古大好きな子供たち・・今の状況が数年続いたら、大人顔負けの華道人になれるでしょう。技術の腕もあげてほしいと思いますが、花道を通してどの程度心を成長させてあげることが出来るかが、私にとって大きな課題です。
 
 人間は優しくもあり、残酷です。多くの方は、様々な場所で学んだ過程を忘れてしまいます。一足飛びに大人になったわけではありません。大人になるため、技術を身につけるまでは、様々な気付きがあり、指導してくれた方がいたからこそ今があります。けれども、大人になると、初めから知っていたようなお顔で、偉そうにしている人が多いように思います。
 
 様々な技術や学びを、他者のために役立てる人となってほしいものです。お花でしたら、私の花はどうだ・・素敵でしょ・・などと言うお花ではなく、このお花を見ていると心が和むわね・・という誰かを思いお花を生ける人となってほしいと心から願いっています。私自身できているわけではありませんので、難しいことですが・・

子供教室・・

2017-12-16
 今日は、お子さん方のお花のお稽古でした。今年最後のお花のお稽古です。年末といえば、子供たちはお正月というよりクリスマスだと思います。何かに、クリスマスはキリスト誕生を祝う日ですが、12月8日が何の日であるか知らない人は多いと書かれていました。
 
 私も分からなかった一人ですが、お釈迦様が悟りを開かれた日でした。日本にいらっしゃるキリスト教徒の割合と、仏教徒の割合を比較してみたら、圧倒的に仏教徒の方が多いはずです。しかし、今になれば、日本人にキリストの誕生日を聞けば、答えられる人は多いでしょう・・なんだかとても残念です。
 
 寺院に嫁ぎ何よりもいらない行事が、クリスマスです。便宜上クリスマス会などもさせていただきますが、お正月の準備は重要です。日本の神道について学ぶと、なるほど・・と思うことはたくさんあります。お正月というとおせち料理・・この連想もどこか商売が絡み残念です。お正月についてしっぽりお話をしたいものです。
 
 今年最後のお花のお稽古ですから、本来なら床の間に飾るお正月のお花・・・と言いたいところですが、住居事情も異なりますので、クリスマス風のお花は程よい感じです。皆さんとても可愛く生けてくれました。

両親に感謝の日・・・

2017-12-15
 誕生日は、この世に人間として誕生させてくれた親に感謝をする日です。そのように思えるようになったのは、40歳を過ぎてからですが・・
 
 母は透析を20年・・笑いながら聞きくしかありませんが、隣で透析されて会話を交わすようになり親しくなったと思うと、他界されることも多く、死がいつも隣にいることを意識しているようです。
 
 気丈な人ですから、メソメソ・クヨクヨはしていませんが、透析という現実は厳しく、現実を受け入れて一日一日を精一杯生きている母は、カッコイイと思います。
 
 私はあまり優しい言葉はかけません。心配から、塩辛いものを食べたりカリウムの多い食品を口にしているのを見て、「気を付けたら・・」と言ったところで耳を貸すことはありません。へそ曲がりな私は、「自分の好きなものを食べて、好きなように生きて、それで命を落とす方が幸せかもね・・」などと憎まれ口を聞くと「全くひどいことを言う娘だね・・」と言われますが、ハッとすることもあるようです。
 
 言葉は、毒にも薬にもなるようです。好きなように生きているようですが、自分の体が思うように動かなくても、人の為に生きようとする両親を尊敬しています。限られた命だから輝ける・・と聞きます。年を重ね、人間として深みを増して行きたいものです。
天台宗 東円寺