寺庭のつぶやき

寒いです・・・

2017-12-14
 何をするにも縁あるところは距離があります。車で数時間・・距離にして100キロは超えます。車の運転ができることや、長距離運転が嫌いではないお蔭で、様々な習い事を続けています。
 
 何かをする時には、ついでにできることを考えて行動することが癖になり、時にそれは良い方向へ働くこともあれば、ついで仕事が疲れのもとになります。それでも、他の寺院の寺庭婦人の皆さんも、そのようにして寺院のこと、家事子育て等々をやりくりしています。
 
 12月ですが、本堂の渡り廊下に置いてある花器のお水が凍っています。何をするにも寒さが敵です。一日出かけては、一日家のことをしています。日々の生活の片づけで終わってしまいます。
 
 明日、私は誕生日です。けれども、一日早くお祝いをすることになりました。家族で御殿場にイルミネーションを見に行きました。寒い夜でしたが、孫たちが元気にはしゃいで歩く姿に心が和みます。

御詠歌検定試験・・

2017-12-13
 今日は、神奈川県にあります妙楽寺という寺院で、御詠歌の検定試験がありました。前日予習をしようと思っていましたが、結果的には、本を開くことさえできませんでした。
 
 検定試験が始まる前に、お仲間の寺庭婦人さんと間違えやすい場所の確認をさせていただいたお蔭で、修正できて間違わずにすみました。
 
 検定試験を受け続けることにどうなりたい・・と言うような目標はありませんが、1年間試験のための曲を繰り返しお稽古することで、一曲一曲が体に沁み込んでくれているように思います。検定試験がなければ、努力しないかもしれません。
 
 ドキドキしたり、ハラハラしたり、忙しい毎日です。けれども、ドキドキ・ハラハラすることは生きている証拠です。

家事に追われ・・

2017-12-12
 今年はスケジュール帳が黒くなるほど、自分の用事の多い年になりました。予定が入っていますと、その時間は拘束されてしまいますので、細々とした家事が後回しになってしまいます。
 
 しかし、予定が入っていない時には、家事の効率を考えて頭をフル回転さますが、段取り良く家事が終わることは滅多にありません。
 
 理由の一つには、野菜などの食材を、調理や保存をするための下処理に時間がかかることも多いからです。約半日を時間を費やすと、私は何をしているのだろう・・と思いますが、食材や食材をもって来てくださった方の気持ちを考えますと、粗末にしないように心掛けています。
 
 結果的に、やはり細々した仕事が残っています。できなかった仕事を忘れないように覚えていようという意識も時折負担です。無常に時間が過ぎています。
 
 今年、暮れの配り物は、息子が頑張ってくれたお蔭で、ほぼ終了しています。終わっている仕事もありますので、悲観することもないのですが・・家事に追われています。

東円寺今年最後の御詠歌の練習・・

2017-12-11
 東円寺の御詠歌は、1月・2月はお休みです。忍野村ならではの地域性です。法事も、1月はお正月月であるということと、やはり寒さが厳しいのでそのような寒い時に人を集めることはない・・そのような考えもあると思います。
 
 この休みを使って、新曲を覚えていただくことにしました。「比叡山仏道賛仰和讃」「来迎会和讃」「追善和讃」の3曲です。それぞれに意味深い曲です。
 
 御詠歌の難しさは、歌を唄えば良いわけではありません。左右の手には鈴と鍾を持ち、曲に合わせて違った動きをします。基本ができていませんと、曲が難しくなった時に作法が美しくできません。
 
 御詠歌は、美しく歌えば良いものでもありません。人の悲しみや苦しみを乗り越えて、それでも明るい希望を持って生きるための歌詞や曲調になっています。その陰陽が見事に表現されているのは、「追善和讃」のように私は感じます。曲調は明るいのですが、歌詞は世の無常が詠まれています。そのすべてを表現できるようになるには練習以外にありませんが、東円寺の講員さと来年も楽しく学んで行きたいと思います。

多くの人に支えられて・・

2017-12-10
 実家と言っても宗教施設というのは、一般家庭とは全く違います。私が小学校1年生の時だったと思います。ある日、知らない兄弟と一緒に住むことになりました。その状況を疑問に思うほど、まだ大人ではありませんから、そう言うものだと思って受け入れたのだと思います(自分自身でも状況を把握していませんので・・)
 
 現在のように児童相談所が親身になって話を聞く時代ではなかったようで、たまたま知り合ったその兄弟の父親が暴力を振るい、母親もどうしていいのか分からなかったので、一時的に一緒に住むことになったようです。
 
 その兄弟は、私より4・5歳年上のお兄さんが、やはり乱暴だったので、手に余って兄弟は児童養護施設に預けられたということを後で聞きました。
 
 私の幼少期は、血縁のない方と一緒に住むのは当たり前でした。その人たちが家族でした。けれども、それぞれに癖があって、ある方は、アルコール中毒でお酒を飲んではいけない・・と言われているに押し入れに隠して、こっそり飲んでいたり・・近所には、暴力団とお付き合いがあり、薬を使っていたようで、妄想や幻聴が聞こえて暴れていたり・・その様子が当たり前とは思いませんでしたが、子供心に、どうしてこんな風になってしまったのかしら・・と疑問を持っていたように思います。今になれば、皆さん他界されてしまいまたが・・
 
 現在、実家へ行っても子供時代に見た人のような方はいません。ふと、昔を懐かしく思い出しました。多くの人と出会い、支えられて今の私がいるようです。
天台宗 東円寺