寺庭のつぶやき

継続することの重み・・・

2018-06-17
 東円寺先祖供養団参の一日目の行程は9割以上同じです。時間の関係で、比叡山山内のお堂をお参りする場所が変化する程度です。
 
 集合場所は午前6時にお宮橋前です。しかし、5時30分頃から参加者はバスに乗り込み始めます。10分前には全員揃っているほど集合時間は厳守されています。今年も約8割は毎年参加くださっている方です。参加してくださる方がいなくては、バス代の負担が増えてしまいますので、大勢に参加していただくためには楽しんでいただけるように工夫するのが関係者の務めです。
 
 けれども、1日目だけは、到着しますと伝教大師様の御廟に向かいます。比叡山に上らせていただいたことをご報告に上がります。その後は到着した時間によって変わってきます。今回は、国宝殿を拝観しました。国宝殿には、国の重要文化財に指定されています仏様がいらっしゃいます。何度か訪れていますが、訪れる度に仏様のお顔など印象が変わっているように感じます。
 
 先祖供養団参ですから、毎年午後3時30分からは、阿弥陀堂にて東円寺歴代住職を始め、各家先祖代々の回向法要をさせていただきます。今年は、追善和讃という御詠歌をお導師様方とお唱えできたことはあり難く感じました。阿弥陀堂で行われる回向法要は、会いたくても会えない愛しい人に会えるような気持ちになると皆さんお話されます。時代が大きく変わり、生活様式が変化してもご先祖様を思う気持ち、伝教大師様をお慕いする気持ちは変わることはないと感じます。
 
 一日目の行程を無事に終え、団参に慣れた方は思い思いに比叡山香などを購入するために売店へ行き、それぞれに郵送の手配を速やかに終わらせている様子を見ると、継続することの重みを感じます。

有効的に・・・

2018-06-16
 明日から、先祖供養団参です。準備はほぼ出来ています。朝食用にパンを予約してありますので、受け取ること、また、比叡山会館に到着しますと、様々な方からお心遣いを頂戴します。多少の手土産を用意すれば完璧です。
 
 「お母さん時間があったら子供たちの面倒をみてくれる?」と言われ、午前中孫を連れて県民文化ホールで行われる無料のコンサートへ連れて行くことになりました。孫2人と私だけの行動は初めてなので、娘は少し心配してくれていましたが、母親から毎日ガミガミ怒られている孫は私の言うことを聞いてくれました。
 
 2階席だったために、サンリオのキャラクターたちと触れ合うことができないことを理解していますので、とても残念そうでした。下の孫はぶつけ処のない思いを、上の孫にぶつけてほっぺをつねっていました。状況判断できるほど成長したことを嬉しく思う反面、状況を理解したうえで諦めることを覚えなければならず、学ぶことによって苦が生まれることを、孫の成長を通じて私は客観的に学び、やはり生きることは苦であることを再確認することになります。
 
 一緒に暮らしているお蔭で、日々成長を感じることができる喜びを噛みしめています。今日は本当に特別な時間でした。苦の多い人生だからこそ、自分自身で多くの喜びを探すことが、人生の醍醐味なのだろうと感じます。

皮膚科へ・・・

2018-06-15
 時間をかけて、検査をすると原因を知ることが出来るかもしれませんが、時間をかけてまで検査する気になれず、無常に歳月だけが過ぎて行きました。
 
 極度の乾燥肌の私は、疲れやストレスを感じますと、特に顔ですが、皮膚がピーンと伸びたように感じますと肌は赤くなり、それと同時に猛烈にかゆみが襲います。その後、ぽろぽろと頭でしたらふけのように皮が剥けてきます。
 
 何よりもひどいのは、ファンデーションやBBクリームでも、それらをぬっておきますと、1時間ほどで、顔が脱皮するかのようなひどい状態になりますので、よほど肌の調子が良い時でなければ、ファンデーションをぬると大変なことになります。
 
 普段の私の洋服の色といえば、黒か紺色ですから、剥けた皮膚が洋服に付着しますと、ひどいふけ??と間違えるほどです。日曜日から団参があります。あまりひどい顔でいるのは、お檀家さんに申し訳ないと思い、皮膚科へ行くことにしました。
 
 皮膚科も初めてではありません。市立病院の診断は、「化粧品かぶれですね・・」と、強い副腎皮質ホルモン剤の塗り薬をくださいました。確かに、今までの肌は何だったの?と思ってしまうほ綺麗になります。しかし、その速攻性が何となく気になります。
 
 良い時代です。忍野村近隣の皮膚科というワードで検査しますと、御殿場に皮膚科の病院を見つけました。特別な疾患ではなかったようです。塗り薬をくださったので、いただいた薬ぬってみようと思います。

世界が広がる・・・

2018-06-14
 私の学生時代は、運動部に所属して、体育会系の思考で行動していたので、理論的に具体的考える力が不足していたように思います。スポーツですから、手芸や華道などをする時間は、少なかったように思います。
 
 幼い頃から大人の会話を聞き、大人っぽく育ってしまった私は、物事を正面から見ることができなくなっていたように感じます。今の私とは比べ物にならないほどです。
 
 花道で理念などを学ぶことによって、生きる・・と言うことをテーマに考えますと、物事はまず正面から見ることが良いように感じます。素直さというのは、見えないものを見る力が備わるように感じます。
 
 先日作成したおむつケーキに使ったアーティフィシャルフラワーも、様々な世界があり、歴史があります。先日アレンジメントの先生が何気なくお話をしてくださいました。世界には様々な気候があり、日本のように四季を通じてお花を手に入れることが出来ない国があるの・・当たり前の話ですが、言葉で聞きますとそのような背景を忘れている自分の無意識の世界を感じます。
 
 美しい陶器のお花があったり・・アーティフィシャルフラワーなども、お花がない季節にお花を飾りたい・・という工夫によって生まれたものだと・・文化というのは、風土によってその国、また地域によって生まれるものであることが分かると、その意識からまた新しい発見が生まれるように感じます。

揺れながら・・・

2018-06-13
 成長するという言葉は、響きの良いものですが、ある時には、成長という言葉が肩に重くのしかかってくるように感じることがあります。成長することによって、諦めること・・開き直ること・・辛抱すること・・このようなことは、できることなら気付かず自由気ままに生きることができたなら・・そんなことを感じることはないでしょうか。
 
 天台大師様の教えである一隅を照らす・・「悪事を己に向かえ、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」という言葉を思いますと、やはり心が成長することによって、一隅を照らす人になっていくのだと思います。
 
 本音と建て前があるのも人間の性です。そうした性と教えのはざまで揺れ動く心は、当然のことかもしれません。しかし、私は、やせ我慢でも、高楊枝でも理想を求めて生きたいと思い、その思いが自分自身を苦しくさせているようです。
天台宗 東円寺