寺庭のつぶやき

お参りさせてください・・

2017-05-27
 「あさイチ」の放送後、多少問い合わせのお電話があります。しかし、返答に困るお問い合わせに、どのようにお返事させていただけばいいのか・・考えさせられます。
 
 「天井絵を見せてくれるお寺さんですか?」と言う言葉に、あさイチで「天井絵を見せてくれるお寺・・」と、紹介されてはいません。しかし、他の寺院で仏像なども同じような問い合わせがあると聞きますので、寺院に対する知識はその程度だという話も聞きます。
 
 ある方が言っておられましたが、そのような時には、「お参りはしていただけます」と言えば良いんだよ・・と言われ、「なるほど・・」と思いました。
 
 思い込みでお話されている方が多いので、否定するのも失礼ですし、肯定するのも後々面倒だと思ったり・・分からなくて当然のこともありますので、一概には言えませんが、問い合わせする側も、応対する側も、相手の立場になって考える必要を感じます。

ゆっくりと・・

2017-05-26
 正午・・お檀家さんの火葬がありました。住職は火葬の時間予定がつかず、龍石寺のご住職にお手伝いをお願いしていました。久しぶりに、時間を忘れゆっくりお話を聞かせていただきました。
 
 深いご縁なのだと年を重ねるごとにその思いが深くなります。未来は誰も予想できないものです。しかし、仏様や神様にはそのご縁が将来どうなっていくのか・・見えているだと感じます。
 
 とりとめのないお話もありますが、何気なく話されることに、人の世の理について考えさせられる言葉があります。不動明王をご本尊とする龍石寺・・高校時代、寺院に興味のない私でしたが、そのお寺に関心を持った鮮明な記憶があります。当時、数年後に龍石寺のご住職に任命される方と、現在のようなご縁ができることは誰が想像できたでしょうか・・
 
 時には、時間に追われることなく、宗教に関係したお話をじっくりする・・至福の時間です。

記録係・・

2017-05-25
 神奈川教区寺庭婦人会は今年50年の節目を迎えました。何事も、新しい組織を立ち上げる苦労は想像以上だと思います。そのように苦労して立ち上げてくださった神奈川寺庭婦人会の記念行事として、亡くなられた寺庭婦人を偲ぶ慰霊祭を本日開催しました。
 
 私は、記録係となり、記録写真を撮るカメラマンになりました。東円寺では、天野さんがとても素敵なアングルで、記録写真を撮ってくださっているので、天野さんの足元には到底及びませんが、思いを込めてシャッターを押しました。きっちりした写真ではなくスナップ写真をたくさん撮りました。
 
 記録に残すためと思うと、緊張するというのでしょうか・・妙に変なスイッチが入りました。それは50周年と言う歴史の重みや、歴代の役員さん方の篤い思いが伝わってきたからかもしれません。
 
 東円寺では、先日33回忌法要をした祖母と、一昨年17回忌をした義母2人の戒名を読み上げていただきました。生きている間縁のなかった方々ですが、少しは、親孝行ができたような気持ちになりました。無事に記録係の役が終わって安堵しました。

驚きの・・

2017-05-24
 お花のお稽古を小学校3年生から初めてくれた子供たち・・4年生に進級するときに、ワンレッスン制から花道を学ぶことを選択してくれて、現在お生花を学んでくれています。孫を見てもその成長に驚くことが数多くあります。しかし、小学校4年生・・人間として10年・・様々な経験から思考(個性)が出来上がっているように感じます。
 
 私は長女だったからでしょうか、両親は、私を子供扱いしませんでした。子供の頃は、大人びた生意気な子供だったようです。けれども、そのように育てられたことをあり難いと思っています。私も娘を育てる時、できることをさせる・・できないことをできるようにする・・大人になりたくない・・と思ってもいつまでも子供ではいられないのなら、子供扱いをせず、できない問題と向き合うように心がけていました。
 
 小学4年生になった子供たち・・この子は同じ子かしら?と思うほど、3年生の時とは違っています。日に日に大人になっている様子は驚きです。お花の技術を習得している様子も、私がしっかり勉強しなければいけないと必死になります。
 
 花道を通して、お花を生けるための技術だけではなく、生きるための知恵をたくさん学んで、豊かな人生を歩んでほしいと願いながら、私自身がどれだけのことを伝えることができるのか試されていると思うと冷や汗が出ます。

懐かし・・

2017-05-23
 休園になった幼稚園・・時間を持て余す子守をどうしたらいいのか娘は悩み、三津シーパラダイスへ行くことにしました。そんな話を小耳にはさんだ住職は、三津シーパラダイスは先代が好きな場所だったことを懐かしそうに話していました。
 
 私が嫁ぐ以前、東円寺には忍草保育園と言う顔がありました。少子化の影響によって園児が減少し経営が思うように行かないことが最大の理由で、忍野村に移管しました。
 
 保育園をしていた時に、園長だった先代が保育園の遠足に、三津シーパラダイスへよく行ったていたことを思い出したようです。そんな話を聞きながら、先代が忍草保育園をつくることになった経緯を思い出しました。
 
 戦後、男女問わず必死に働かなくていけないときに、畑仕事や冬場など、仕事をしていて目を離したすきに起こった様々な事故に心を痛めた先代は、保育園に子供を預けることで、両親が働ける環境を作ってあげたいと考えたそうです。
 
 先代が他界する数年前まで境内には子供の声が響いていたと思います。亡くなるときまで、子供たちの声が聞こえていたら幸せだったのに・・と思うことがありましたが、私自身は保育園があったら、忙しすぎて逃げ出してしまったかもしれません。
 
 三津シーパラダイスから、先代の思い出になり、私が何とか東円寺に置いていただけている経緯を考えると、不思議な気持ちです。