寺庭のつぶやき

毎日のように・・

2017-05-04
 ここ数年・・殺人事件のニュースを聞かない日はありません。30年ほど前、私が尊敬していた和尚さんは、現代に起こる出来事を予想していました。また、そういう世の中にならないように、ラジオ番組など、メディアにも積極的に出られていました。
 
 けれども自己主義的な風潮に流されしまったようです。そのような人ばかりではないことが救いですが、世の中は、人と人が支えあわなければ生きることはできません。しかし、自己主義な生き方は、支えあって生きていることを想像できないのだと思います。
 
 私が花道に夢中になったのは、見えないものを見る力を養ってくれることを知ったからです。想像してください。野山に自然に生える草木は、それだけで心を和ませてくれます。そのように考えると、花道など学ばなくてもいいような気がします。しかし、自然に生育している草木を生けるよりも、生けたときに不要と思われる葉や枝を切っていきます。そうすることで空間が生まれます。
 
 その空間によって、爽やかな風を感じたり、時には自然界の厳しさを感じるかもしれません。空間美を表現すると言いますが、空間美とは何かと考えます。それは、私は何もない空間に何かを感じる心だと思います。何よりも、それを表現することは難しいのですが、自然美とは違った何かを、日本人は感じる感性を生まれ持っているようです。
 
 美しいものだけではなく、人の内面・・雲をつかむような話ですが、何かに気付くことができたら、利他的になれると思います。他のために生きることで、生きる意義に気付く・・自己中心的な生き方は、巡り巡って自分を苦しめることになるようです。生きるということは見えない何かに生かされているのだと感じます。楽しい日々ばかりではありません。辛い日々も生きなければならないのは現実です。寿命が尽きるときまで生きるのなら、生きる意義を知っていたいと思うのは私だけなのでしょうか・・・

穏やかな・・

2017-05-03
 5月3日は、忍草浅間神社のお祭りです。子供神輿と山車が忍草内を練り歩きます。村内の方は法事をされませんので、GWは比較的法事は少なく、穏やかな休日になります。暑くもなく寒くもないこのような日は掃除日和です。例年、気になった部屋の大掃除をしていることが多いように思います。
 
 昨年のGWは、天気が良くなかったように思います。掃除は天気に左右されてしまいますので、GWに天気が良いと嬉しくなります。
 
 孫が幼稚園に通うようになりましたので、孫の休日は暦通りですが、親は仕事が最優先ですから、休日に出かけることはあまりありません。今日は、年間でも希少な休日なので、様々な用事をしながら、公園に遊びに行きました。
 
 孫のいない静かな休日は、住職と私にとっても貴重です。来客もほとんどありませんでした。数組の方に御朱印を頼まれた程度だったので、住職も腰をかばいながら仕事をしていました。
 
 静かにお茶を飲みながら、10年ほど前の生活を思い出しました。屋根裏部屋へ入っては古文書を見つけたり、様々な部屋の片づけをしていました。あの頃私は若かった・・そんなことを考えながら、日常生活とは別に私に課さられた大我講についても、できるときにやらなければと思い、忍野八海を再興した大我講の先達大寄友右衛門さんについて、年表を追いながら振り返ることにしました。
 
 あることを見落としていたことに気付きました。今、しなければならないこと・・焦ります。

葛藤している・・

2017-05-02
 上の孫が幼稚園に行くようになって、1年が過ぎました。朝の日課は、本堂の前で手を合わせて出かけることです。私は、家の中から「いってらっしゃい・・」しているので、仏様に手を合わす孫を見ることはあまりありません。
 
 今日は、何気なく外に出て、本堂の前で手を合わせるているところに遭遇しました。「お友達に、意地悪しませんように・・」と言っている姿を見て、住職に「いつも、そう言っているの?」と聞くと、このお願い事が毎日の日課なのだとか・・
 
 兄弟がいることで、喧嘩をやめさせるときには必ず、「意地悪してはだめよ・・」と言いますが、その言葉を聞いているのかどうか疑問でした。しかし、孫は孫なりに、思うことがあり、日々何かと葛藤し、結論として「意地悪をしないように・・」と思ったのでしょうか。
 
 家の外で起こった出来事について、あまり多くを語らない性格の孫なので、幼稚園でどのように過ごしているのか分かりませんが、「意地悪をしませんように・・」と願い続ける人に育ってくれたら・・
 
 意地悪をされたら、意地悪をしたくなるのが人です。私は、孫がそう思い続ける手助けをしてくださいと、仏様に手を合わせ続けたいと思います。

役員会議・・

2017-05-01
 東円寺恒例の先祖供養団参の締め切りが昨日でした。毎年参加してくださっている方も、年々年を重ね、体調を崩されたり、ご家族に体調の悪い方がいたり・・団参に参加できるということは、自分自身と家族に何事もないということだと痛感します。
 
 団参参加者が少ないことで参加者を集めてほしいという議題。また、比叡山では祖師先徳鑚仰大法会にあたり、神奈川教区では東円寺の団参から帰宅すると2日後に授戒会があります。身も忙しいですが、お金も忙しく申し訳なく感じながら、けれども、1000年という御遠忌に仏様や高僧と深い縁を結ぶ機会をいただけることは、あり難いことだと感じます。
 
 子育地蔵尊大祭が無事に終わったことや、山門修復と観音堂建立・・会議を重ねながら宙ぶらりんになっている檀信徒会の立ち上げ・・地域性を考慮しながら山積みの課題を形にしていくことは至難の業です。
 
 話をまとめるためには、様々な意見を尊重することも重要ですが、その意見に誠意が込められたものであるかどうか、見極めることは一層難しく、何が正解であるのか・・
 
 小さなことを積み重ねていくしかないと思っています。観音堂については、今年出来上がっている予定でした。しかし、様々な思惑によって一歩が踏み出せていません。ご寄附いただいている方々には、東円寺の事情をご理解いただきまして、落慶が一日も早くできますようお祈りいただきたいと思います。

お母さんがいる・・

2017-04-30
 孫が生まれた頃から、少しずつ食事は娘に任せてきました。親として、また、寺院に住まう者としての自覚を身につけることを意識してほしいと思ったからです。
 
 実の母親と同居することは、精神面で甘えることも多いのですが、商売をしている家と似ていますので、日常生活の中心は個人ではなく、寺の仕事が重視されます。頭で理解しようとしても、精神的に辛く悲しくなることが多いことは、私自身が経験してきたことです。
 
 時折、祖母である私の母が孫を気遣って、私に娘を気遣ってやりなさいと・・と助言してくれますが、やらなければならないことを甘えさせることは、後々娘のためにならないと思い、心を鬼にすることも・・
 
 今日は、冷蔵庫などに残っている食材で食事を作ることにしました。その様子を見た娘の言葉・・「お母さんがいる・・」何とも言えない言葉の響き・・それぞれの立場で頑張っているのだと感じます。