寺庭のつぶやき

庫裡の繰り言

 寺庭のつぶやきは、日々感じる矛盾、人間関係、お寺ならではの苦悩、時には、つぶやきではなくぼやきもありますが、四苦八苦しながらお寺で生活をしているリアルタイムな話題を、お届けしたいと思っています。
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久しぶりの再会・・

2011-11-05
 まだ、つぶやきを書き込み始めた頃、東円寺にお祀りされている聖観音様が、お声をかけられ、お参りに来られた人がいたことをつぶやきました。とても、不思議なご縁のお話です。

 M子さんは、忍草浅間神社に、行方不明になったお連れの方の甥御さんの願掛けをしていました。幾つかのお社、ほこらなどすべてをお参りした後、「まだ、お参りは済んでいないよ。」という声がどこからか聞こえて来たそうです。「おかしいな?すべてお参りさせていただいたのに?」と、ふと、目線をあげると、東円寺の山門が目に入ったそうです。「あら、お寺がある。」と、東円寺に来られたそうです。

 本堂の前で手を合わすと、浅間神社で聞いた声が聞こえて来たそうです。「ぶつぶつ」と、お話をしているところに、住職が通りかかり、「そのように熱心にお祈りするのなら、本堂に上がってください。」と、聖観音様にお通ししたそうです。
 「甥御さんは、元気でいる。」とのこと。また、「よくお参りに来て下さった。」と、お話されたそうです。聞いた当初は、信じられませんでした。しかし、数ヶ月後、甥御さんは無事家に戻られました。「本当なんだ。」と、住職と驚いた時から、5年以上経ちました。

 3月11日の震災後、4月頃だったと思います。お参りに来て下さいました。あいにく私は留守にしていて、お会いすることができませんでした。しかし、富士山噴火の事が、とても心配だったので、ご連絡させていただき、質問しましたが、心配ないと言われ安心しました。

 今日お参りに来られたのは、M子さんではありませんでしたが、懐かしいお顔を拝見できて嬉しくなり、つい、娘の話をしてしまいました。とても、喜んで下さいました。

 午後9時頃、電話が鳴りました。M子さんからです。「娘さんのお話を聞いて、とても嬉しくて、遅い時間になってしまったけれど、どうしてもお祝いが言いたくて、お電話しました。」と・・・とても、有り難い言葉に、胸が熱くなりました。

温暖化・・

2011-11-04
 11月だというのに、暖かな日が続いています。寒い日よりも暖かな日の方が過ごしやすく有り難いのですが、11月という感覚になれない不思議な感じです。
 農作物も、葉物などの成長がおかしいようです。漬け物用の菜っ葉など、漬け物にするには茎が柔らかすぎると、農家のおばさんが話していました。

 大きな行事の後に、体を休めたいところですが、明日もお寺を使った法事があるので、今日は掃除に追われた一日でした。

 気力は責任感から生まれてくるのだと思います。初めて大きな行事を体験した次の日は、寝込んでしまいました。行事の後片付けに、何日も必要でした。しかし、数年前から、お手伝いをしてくれている人が、心得てくれていて、当日の内に片付けが済んでいます。本当に今日、大きな行事があったの?と思うほど、普段通りに片付けてくれます。有り難い事です。そのような人々に支えられて、現在の東円寺はあります。
 寝込んでなど、いられなくなってしまいました。慣れは凄いと思います。そうゆうものだと体が記憶すると、寝込まずに働けるものです。

 年末モードに切り替えつつ、離れの増築工事が始まる前の片付けを終わらせなくてはいけません。先のことを考えると嫌になってしまいそうなので、「今日一日を精一杯に・・」をスローガンに、仕事を片付けていきたいと思います。

試行錯誤の末に・・・

2011-11-03
 今日の行事は、20年ほど前までは、11月23日にしていた行事です。忍野村は、11月に入ると朝晩はぐっと冷え込んできます。23日頃になると、日が差さないと昼間でも気温があがりませんでした。そのような理由から、11月3日になりました。

 行事としては、700年以上の歴史を持つ古いものです。時代と共に行事の有り様は変化してきたと思います。中世、江戸時代、明治の廃仏毀釈以降、戦後・・・時代の背景を想像するだけでも、人々の生活も全く違っていたと思います。

 行事の詳細は、文献で残っていません。戦前の話を年配の方々から聞く程度でした。その昔、お寺には多くの田畑、山林がありました。昔の寄付は、お金ではなく土地の寄付でした。寄付していただいた田んぼや畑を貸して、その貸し賃に、お米や野菜をいただいた時代がありました。そのお米や野菜を使って食事を作り、すべての檀家や地域の人々におふるまいをしました。安定していた時代から、戦争が始まり、お寺の田畑は、お国のものになりました。戦後の農地解放もあり、食糧難であったことも重なり、すべての檀家や地域の人々に食事をふるまえなくなってしまいました。そのような理由から、代表者だけが行事に参加するようになりました。

 戦後60年、時代は大きく変わりました。お寺にとっての代表者は、旧家です。何代も続いている家柄にとの考えは通らなくなってきていました。年々行事に参加して下さる方が減っていました。「このままではいけない。」と思いました。けれども、どうすればお寺に興味関心を持って下さるのか・・・
 
 一番ショックだったことは、忍草部落の檀家さん約8割は、自分のお寺の宗派を知らないことでした。生まれたときから、東円寺はそこにあり、誰も何の迷いも無く東円寺に関わるものと思って、疑う事のない老若男女・・・衝撃です。社会の変化に対応しているようで、潜在意識の中に根深く残る村社会に、日々戸惑いながら、古き良き時代の営みを残しながら、現代社会にあったお寺の運営を日々模索しています。

 現在では、仏様のある檀家さんすべてに、供養料を出していただき法要をしています。東京・神奈川・千葉など遠方から来て下さるお寺さんや、付き合いのある近隣の臨済宗のお寺さんにお手伝いいただいています。盛大な行事になりました。お手伝い合わせて180名ほど方が、東円寺の境内にいる姿は、仏様やご先祖様が喜んでおられることを想像して、今日も自己満足な一日でした。

明日の準備に・・

2011-11-02
 昨年の今日は、お弁当に入れるおかずを、もくもくと作っていました。夕方には、作ったおかずをホイルに詰める作業をしていました。ここは何処?お弁当屋さん??と思うほど、気合いが入っていました。

 旧保育園園舎解体が決まりました。毎年園舎の2階のベランダは、昼食を食べていただくのに、丁度よい場所でした。来年を考えると、恐ろしくなりましたが、今年最後の園舎との別れに、手作り弁当で花を飾りたっかたのです。
 手伝いの人にしてみれば、仕事が増えて迷惑だった事ことでしょう。しかし、皆何も言わずに、黙々と手伝ってくれました。そのお陰に、当日は、「これだけ作るには、大変だっただろ。美味しかったよ。」の言葉に、疲れが取れるよような気がしました。

 今年になり、いよいよ11月が間近になり、食事を何処で・・と具体的な話になりました。やはり、テントを購入しようと言うことに決まりました。大きなテントですが、折りたたみが簡単にできるようです。天気が心配ですが、明日の予報では、雨は降らないようです。
 食事は、海苔巻きとおいなりさんの入った「助六」を、お寿司屋さんに頼みました。けんちんと汁粉、漬け物にポテトサラダを作りました。今年は、大根が台風の影響で、育ちが悪くいただくことができませんでした。葉物野菜も、天候不順であまり良くないそうです。しかし、そんな中でも、近所のおじさんから、大根や白菜をいただきました。本当に有り難いことです。後は、明日を待つばかりです。

猛烈に忙しい・・・

2011-11-01
大変な作業のようです・・
とても素晴らしいできあがりです・・
 起床と同時に、洗濯物を干し、仏様のお水やお茶などをお供えし(これは、いつものことですが・・・)、昼食のカレーの支度をしながら、朝食を作り、後片付けを娘にお願いし、引っ越しの準備をしました。どうしてなのか?このような時に限って、来客や電話が多かったりします。

 引っ越しは、タンスなど大きな物や、プラスッチクケースに詰め込んだものを、運んでいただきました。あれよ、あれよと言う間に、11時です。そろそろ、八海清掃を終えた役員さん方が、帰って来る頃です。落ち葉の季節です。境内の掃除も皆さんでして下さいました。

 あれこれ片付けながら、午後3時頃には、お花の先生のお手伝い行く予定です。富士吉田文化振興会の展覧会があります。そこに、お花を出されることになっています。古典の松を生けられるので、これも力仕事です。生け込みが終わったのは、午後6時を過ぎていました。

 家に帰ると娘が、「お母さんを待っている人がいるよ。」と、相談と言うより、話を聞いてほしかったようですが、お話しを聞いて午後7時30分。同級生の半年に一度ある集まりがあります。顔を出さないわけにもいかないので、会費などを払い、食事は遠慮させていただきましたが、気が付くと午後8時です。家族で、ご飯を食べて、お風呂に入って眠りについたのは、12時を過ぎていました。こ〜い一日でした。
天台宗 東円寺