寺庭のつぶやき

庫裡の繰り言

 寺庭のつぶやきは、日々感じる矛盾、人間関係、お寺ならではの苦悩、時には、つぶやきではなくぼやきもありますが、四苦八苦しながらお寺で生活をしているリアルタイムな話題を、お届けしたいと思っています。
 ご意見などありましたら、お問い合わせから、気軽にアクセスしてください。
 写真は、クリックしていただくと、大きく見ることが出来ます。

 ホームページをリニューアルしたことによって、過去のつぶやきを簡単に見ることが出来るようになりました。

 

創立記念日・・

2018-07-01
 忍野村には、ファナック株式会社という知る人ぞ知る大きな会社があります。この会社があるお蔭で、人口減少もなく、若い夫婦も多いので、忍野村に一校ずつある小・中学校の1学年は、3クラスから4クラスあります。何よりも、忍野村は不交付団体です。
 
 今日は、ファナックの創立記念日です。社員、またそのご家族がされているカルチャーや、趣味など自慢の作品が展示されているそうです。
 
 生涯学習に参加されている方、また、そのお子さん方もこの展示に参加することになっています。明日から展示会が始まるようです。今日、お花の生け込みをしました。
 
 お母様はアジサイとスチールグラスを使い水盤に生けました。お子さん方は、アジサイとフトイを自由花の花器に生けていただきました。花材が少なく生けられると涼やかなさりげないお花ですが、そのようなお花は、生けるのが難しいのです。
 
 皆さん真剣にお花と向き合っていました。出来上がった作品は9杯・・生け終わったお花を展示会場に運び、ご自分たちでレイアウトをして写メを送ってきてくださいました。会場に足を運んでくださった方にどのような感想を言っていただけるのか・・ドキドキですが、それぞれに個性があり、素敵な作品が出来上がって安堵しました。

社会科見学・・・

2018-06-30
 現在お花の生徒さんは、小学校5年生の子供が数人います。いけばな・・を小学生に習わせる?と、少し疑問を感じる方もいるかもしれませんが、私たちの想像以上に子供は様々な状況を飲みこむ力を持ち、理解する様子は驚きの連続です。
 
 今日は、お茶の水の池坊会館で夏の巡回講座が開催されました。講習料と交通費がかかり、時間的にも一日かかってしまいますので、お知らせとしてお誘いしますが、行ってくれるかどうかの判断は親御さんにあります。けれども、4名の子供が参加してくれることになりました。
 
 大月まで車を運転し、大月から電車でお茶の水まで行きます。ホリーデーパスというお得な切符もありますので、自分で切符を買って自動改札を通り電車に乗ります。普段は、自家用車の生活ですから、電車に乗る機会は滅多にありません。
 
 緊張しながらも、友達とワイワイ楽しそうにしている姿を見ると微笑ましく感じました。巡回講座の内容は、分かりやすいとはいえませんが、様々な年齢層の方が会場に溢れていましたので、見る光景すべてが刺激になったことと思います。
 
 知識を深め、様々な環境に適応するための小さなアイテムが一つでも心に残ってくれたら・・と思っています。若い頃には感じなかった、大切なお子さんを預かる責任の重さ・・けれども、怪我などもなく親御さんに引き渡すことができたことで安堵しました。その重圧は帰宅後の疲労感に現れていました。

宿命・・

2018-06-29
 私にとって家族旅行や、家族で出かけることは親睦を深めるという大きな意味をもっています。しかし、何事も諸行無常で孫が成長することによって環境が変化して行きます。家族関係も、若夫婦家族、お祖父さんお婆さん家族と別れて行きます。
 
 出かけるタイミングも合わなくなってきますので、孫たちは時々じーじとばーばが仲間に入ることをとても喜んでくれますので、そんな孫が一層愛おしく感じます。
 
 今日は久しぶりに、家族の予定を合わせて出かけることにしました。留守番に来てくれる人が来ない2時間の間に、電話をかけてくれれば良かったのですが、本堂もカーテンも開いているに人がいない・・困った親族は、総代宅へ行ったようです。葬儀の連絡に来られて慌てた総代さんから電話が入りました。
 
 普段でしたら泊り・・ということもありますが、様々な状況から日帰りの予定を立てていたので枕経にも行けました。このような状況になると、檀家寺であることを再確認します。
 
 状況が理解できるようになった孫は、日暮れを待たずに帰宅することに納得できない様子でした。しかし、これが檀家寺の宿命であり、地域的な要素が絡んでいることを少しずつ理解し、何を一番に考え行動すべきかを養ってほしいと思っています。
 
 窮屈な環境です。分かる人にしか理解できない精神的な苦悩が生きている間続きます。苦悩ですが、苦悩という言葉だけで終わらない、苦悩から生まれる楽しみを、見つけ、また、見つけられる人になってほしいと心から願っています。

御詠歌と・・・

2018-06-28
 御詠歌だけに限らず、何かをしっかり学ぼうと思うと、すべて遠距離です。高速道路があるお蔭で、様々な地域と繋がっていますので、ある意味近い場所とも言えますが、移動距離は長いので近い・・・と言う言葉に語弊を感じます。
 
 遠くから通う・・という意識のお蔭で、多くを学ぼうと五感が働きますので私自身には、良い作用と言えるかもしれません。どのような習い事も、交通費を使い、多くの時間を費やし、授業料が発生します。当然のことですが、以外に、同じような境遇になってみないと理解できないものです。
 
 人というのは、分かっているようで分からず、分からなそうで分かっています。その見分けは、態度と言葉です。自分をどのように評価してくれているのかも、見過ごしてしまいそうな些細な態度に現れます。年を重ねることで、その態度に一喜一憂することはなくなりましたが、自分の判断に裏切られたときの悲しい気持ちはいいようがありません。
 
 まだ微妙な年頃の私のとって、御詠歌をしっかり理解するためには、もう少し年を重ねなければならないように思います。けれども、御詠歌の意味と重ねた人生がリンクしたならば、お唱えは劇的に変化するのではないかと感じます。私はそれを経験したいと思っています。
 
 諸行無常である人生のはかなさ・・悲しみを乗り越えるための朗らかさ・・前を向いて歩くための慈悲深い仏の心を感じる心・・御詠歌に詰まっています。後継者不足は、全国的に深刻な問題です。そのような中で、可笑しな人と思われても純粋に御詠歌を学ぶことができたら・・・そう思っています。

日本文化・・

2018-06-27
 日本文化は、自然文化と言っても過言ではないと思います。戦前までは、現在のように、バイオ技術はありません。温室もありません。太陽と雨、風など自然が与えてくれる恩恵(神)とともに歩んでいたのだと思います。時には恩恵ではなく、台風や竜巻、地震などの脅威もあり、その度に、荒ぶる神を沈めるべく、祈りを捧げました。
 
 科学の発展によって、現代は太陽の光が当たらなくても、ホウレン草やレタスなどがビルの一室で栽培できるほどの飛躍的な技術革新によって、神に祈りを捧げなくても食料は人の手によって生まれています。
 
 けれども、様々な技術は本当に人の手だけで生まれているのでしょうか?水や空気が存在しなけれ生きることはできません。また、天災を食い止めることができるのでしょうか?自然の力は、人の力で説き伏せられるものではないように感じます。
 
 選択の自由・・は、苦しみを増幅させるものです。自分がなにを欲しているのか定まっていないのに、視覚や聴覚に必要以上の情報を与えて、欲望を駆り立たせて消費を促す。消費がなければ、経済が成り立たない・・世の中の仕組みを理解することはできますが、私たちの人生に何が残るのでしょうか・・
 
 自然を神を仰ぎ、慎ましく、豊かな心をはぐくむ日本文化の見直しは、義務教育の現場から発信しなくては親だけで解決できる問題ではないように感じます。
天台宗 東円寺