東円寺縁起

 東円寺は弘仁年間(810年〜824年)、空海上人関東巡錫の砌、富士北麓の地に霊温泉の湧いている所(現在の湯の元の地)を見つけ、一宇を建立。湖畑山南泉寺と号したのが始まりです。古くは富士山を修験とする真言宗のお寺でした。現存する忍草浅間神社(忍草朝日浅間宮)の国指定重要文化財のご神像の台座には、「正和4年(1315年)、別当東円寺」の墨書があることから、鎌倉期には既に天台宗となり、忍草山大日院東円寺と寺号が改まっていたようです。
 東円寺は宝永年間までは、湯の元の地にありましたが、台風で全壊したため、正徳元年(1711年)現在の地に再建されました。その時に、大明見の鬼坂に建てられていた、源頼朝公寄進と言われている仁王門が、忍草浅間神社(忍草朝日浅間宮)の境内に移築されました。
 古くは、富士修験の道場として、また、江戸時代は富士講の宿坊として繁栄。江戸期には寺領も大明見から鳥居峠を経て忍草までの広範囲に渡っていました。
 現在の御本尊は、木造阿弥陀三尊像で天明2年(1782年)全檀家の浄財にて造られました。本堂は文化4年(1807年)、客殿は弘化4年(1864年)、鐘楼門は慶応元年(1865年)に再建されました。
 寺宝としては、村指定重要文化財の聖観音像(文保元年・1317年造)、古本尊大日如来像(天正6年・1578年造)、弁財天像(室町時代造)、目黄不動尊像(室町時代造・明治の廃仏毀釈にて富士山鈴原大日堂より遷座)などがあります。また、境内にある石造りのお地蔵様は子育て地蔵と言われ、多くの人々から信仰されています。
 江戸時代は寛永寺の直末寺でしたが、現在は比叡山延暦寺の末寺となっています。