寺庭のつぶやき(2010年)

 

風習・・・

2010-12-21
 葬儀について、質問されました。忍野村では、お通夜に火葬をするケースが多く、「どうして、お通夜に火葬してしまうのですか?」と時々聞かれますが、特に仏教的な意味がある訳ではありません。
 葬儀の形態は、時代によって変化してきました。忍野村では、5年前から斎場を利用して葬儀をするようになりました。それ以前は、自宅葬でした。隣近所に休憩所や食堂をお願いするので、近所も大変でした。
 最近の葬祭場は、宿泊施設を完備してありますが、自宅葬から葬祭場に移行するまでの古い葬祭場には、宿泊施設はありませんでした。お通夜の時に遺体のままでは、お通夜の後、自宅にご遺体を連れて帰らなければいけません。そこで、先に火葬してお骨にするようになったようです。
 ある人が、『「告別式」というのに、葬儀の時に、ご遺体がなく、お骨になってしまったら、お別れは何に向かってするのでしょう?告別式ではないのではないか?』と言います。この質問の視点は、この世に残された遺族や知人から見た感情です。しかし、『葬儀とは?』いったい誰が誰に向かってする儀式なのでしょうか?僧侶が亡くなった人に対して行う儀式だと思います。この世に何らかの思いを残して亡くなった人に、思いを断ち切りあの世に導く儀式が、葬儀です。
 残された遺族や私たちは、葬儀に立ち会うことで、亡くなられ人に対しての思いを、断ち切るのだと思います。また、同じあの世に旅立つのなら、よい所(天国)に行ってくださいと祈るのだと思います。とても新鮮な質問でした。葬儀について、改めて考える機会を与えてもらい、感謝しました。
 葬儀のやり方は、その所の風習によって、それぞれ違いますが、死者に対しての思いは同じだと思いました。

何が正しいのか??

2010-12-20
 今日は、御詠歌の方々との食事会でした。皆さん忘年会続きで、体重が増えることを心配しながらも、もりもりおいしい料理を食べていました。(住職も私もですが・・・)
 話題は、老後のことでした。「これからの時代、子供は親の面倒は見ない。介護施設に入ることになるだろう。」と言います。「若い人たちは、稼がなくては生活できない。」と・・・このような考え方でいいのでしょうか?
 私の考えは古いのかもしれませんが、昔の人は親の面倒を当たり前に見てきました。お金があった人ばかりではないと思います。豊かな時代になりました。購買意欲をかき立てる宣伝広告が、目に入ってきます。「あれも欲しい、これも欲しい」と思います。一生懸命に働きます。目先の欲のために、自分の大切な人が寂しい思いをするかもしれません。それでいいのでしょうか?
 自分を一人前の大人にしてくれた親に、恩返しをしなくていいのでしょうか?親は、子供に面倒を見てもらうことができなくて、本当に良いと思っているのでしょうか?私は、良いとは思えません。
 現在、親にお小遣いをあげる人はどのくらいいるのでしょうか?逆に、30歳を過ぎても親のスネをかじっている人はどのくらいいるのでしょうか?人として、どちらがいいのでしょうか?
 何事においても、「そんなきれい事では食べていけない」と言われてしまいます。しかし、親の面倒を見ることは良いことと分かっていながら実行せずに、目先に捕らわれているような気がして、本当にこれで良いのかな?と少しむなしくなりました。

お祝い・・

2010-12-19
 忘年会シーズンですが、今年はとても忙しいからだったのか?東円寺の忘年会は日程が取れません。しかし、お花のお稽古仲間とは、どうしても年内中に何らかの会をしないと、時期を逃してしまいそうだったので、昨夜忘年会をかねて、お祝い会をしました。
 お花でお世話になっている先生のご主人が、県の教育功労賞を受賞されました。お仲間、後輩、教え子などなど、お祝い会続きだったようです。胡蝶蘭などの花が、所狭しと飾ってありました。どのよおうなお祝いが喜ばれるか、お稽古仲間で話し合いました。
 私たちは、奥さん先生の生徒です。食事会を企画しても、お料理屋さんでは、ご主人先生に断られてしまうかもしれないので、「先生のご自宅でだったらどうでしょう?」と言う話になりました。料理は、お重を頼みました。和やかな楽しい会でした。
 ご主人先生とお話をする機会はなかなかないので、大変勉強になりました。「一番大切なことは、人と人のコミュニケーションであること」その、コミュニケーションを支えられた奥さんの内助の功があっての、受賞であったと思います。多くを学んだ、貴重な時間でした。

忘れてはいけない事・忘れた方がいいこと

2010-12-18
 人間というのは、人にしてあげた恩は、よく覚えているものです。ところが、してもらった恩は忘れてしまうことが多いものです。しかし、してあげた恩を覚えていても、案外忘れられてしまっていることが多いので、「あの時あんなにしてあげたのに・・・」と、自分の心に残るのは不満だけです。
 思考を変えてみると不思議に心が軽くなります。人からしてもらったことを覚えているように心がけると、私(自分)が、一人で生きているのではなく、多くの人に支えられて生きていることに気付きます。また、自分がしてあげたことを忘れているのに、「あの時は、お世話になって・・・」などとお礼を言われると、とても嬉しくなります。「自分が何かの役に立つなら、また何かさせてもらおう」と思えるものです。好循環になります。
 今日は、ある女性の49日忌の法要でした。ご主人が事業で成功されましたが、実子はいませんでした。しかし、ご自分の兄弟の子供さん方をとてもかわいがっていたと聞きます。ところが、今日の49日忌には、姪御さん甥御さんともに、女性の親族はどなたも来られませんでした。どのような理由があっても、出席し冥福を祈ってほしいと思うのは、私の考え違いでしょうか?
 49日忌は、和やかに無事終わりました。お施主さんにすれば、甥御さんがいることで気を使います。お施主さんの立場を考えると、とても複雑な気持ちです。
 立場によって考え方は違いますが、どんな時も感謝の気持ちを忘れないでほしいと私は思います。

寒い中を・・

2010-12-17
 今日は、お天気は良かったのですが、気温が上がらず寒い一日でした。特に本堂は、冷え切っていました。そんな中、東京から親子さんがお参りに来てくれました。寒くてびっくりしたのではないでしょうか?
 週間エグザエルを見て、どうしても東円寺に来たかったそうです。娘さんたちにせがまれて、気の毒なのはお父さん?だったかもしれません。お話をしながら、何年も前の事のような気がしましたが、3ヶ月ほど前のことでした。懐かしさと、忘れかけていた大切な事を思い出しました。
 今日も、良き出会いに感謝です。