端午の節句
2020-05-05
毎年、今日という日は法類寺(寺の名前ではない)のお施餓鬼がありお手伝いに行く。毎年そうだから、端午の節句をこと改めてお祝いしたことがなかった。コロナウイルス感染予防のため、東圓寺においても三密を避けるため行事は縮小している。今日の法類寺においても、縮小されることが決まったことの案内が来た。初めてのことだ。
このような事態になることは今後はない・・だろうと予想される。そこで、今日は、家族が健康でいられることに感謝して、ささやかな食事会をした。もちろん自宅で。
ここ数日全国ネットで話題になっているコロナウイルス感染していると疑いながらも、東京から公共交通機関を使って実家へ帰り、友人とバーベキューをして、感染を知りながらまた、公共交通機関を使って東京の自宅へ帰ったという20代女性の報道は衝撃だった。
女性の実家のある地域は狭い集落ということもあり、友達の友達は皆友達・・であり、「○○のようだよ・・」という曖昧な話が、伝言ゲーム化したSNS拡散によって、「○○なんだって」・・という断定に変化していった。拡散された情報は、少しでも彼女を知る人によって、「そう言えばこんなことを聞いたよ・・」「あんなことを聞いたよ・・」と話は雪だるま式に大きく膨らんでいく。また、彼女を知らない人の目に触れ、そこに偏見が生まれ物凄い勢いで拡散したんだろうと思われる。20代女性のコロナウイルス感染の報道がされて2日としないうちに、SNSなどで誹謗・中傷することは傷害罪である・・という内容の新聞記事まで出ている。
ここで善悪の議論をするつもりはない。20代女性のことを想像するとき、自分がとる行動によって多くの人々に迷惑をかける・・ということに気付いていれば、公共交通機関を使って帰省することはなかっただろう。SNS拡散をしている人々も、ある意味においては情報を流すことが良い行いだと思っている人もいるかもしれない。まさか・・自分が誹謗・中傷していることを認識していたら「いいね」というボタンを押すことをためらうだろう。今、自分が起こす行動が誰かに迷惑をかけるかもしれない・・傷つける行動かもしれない・・と慎重になることを教えてくれた出来事だと思う。
いつの時代も疫病に悩まされ、飢饉に瀕した時代、先人たちは知恵を使って対処してきたおかげで、緊急事態宣言が出ても飢饉にあえぐことはない。困窮している人にとって苦しく辛い日々であること、救済のスピード感が欲し気持は痛いほどわかる。行政だけではなく民間でも、災害救助のための様々な組織が動いていることを感じる。一人一人の力が重なりあって、大きな支援の輪ができていることに、人として誇りに思う。今、生きている場所で懸命に生きることは、一隅を照らしているように感じている。
