東円寺先祖供養団参
平成30年 東円寺先祖供養団参in比叡山 1日目
2018-06-17
東円寺の先祖供養団参は、最初に伝教大師最澄様の御廟へ行き比叡山に上がらせていただいたことを御礼申し上げます。足の悪い方は、バスで待っているというのもお決まりになっています。
葉一枚も落ちていない清められた御廟は、俗世と離れた世界です。今年も変わらず比叡山に上がれたことは、守っていただいた証でもあると思います。
その後、東塔にあります阿弥陀堂へ向かいます。比叡山に専属でいらっしゃる写真屋さんに集合写真を撮っていただきます。阿弥陀堂では、先祖の回向供養をさせていただきます。かけがえのない方と会うことが出来ると言ってくださり、毎年参加してくださる方もいます。
延暦寺会館から眺める琵琶湖は格別です。
平成29年 東円寺先祖供養団参in京都 3日目
2017-06-07
最終日は、保津川下りをしました。あいにくの雨模様でしたが、愉快な船頭さんのお蔭で、1時間40分の船旅はお腹を抱えて笑い転げるほどでした。しかし、昨晩の大宴会と、時間を忘れて船に乗っていましたが、けして短い時間ではありませんので、船着き場に到着すると旅の疲れが一気に押し寄せてきたようです。
けが人も病人もなく、皆さん元気に帰宅できました。毎年参加してくださっている最高齢の方は81歳です。来年も元気に参加してくださるよう・・心から祈っています。
平成29年 東円寺先祖供養団参in京都 2日目
2017-06-06
工事中の国宝根本中堂ですが、普段と変わりなくお参りさせていただくことができます。午前6時過ぎには、朝のお勤めに参列するために皆さんお堂に座っていました。お勤めが終わりますと、当番の和尚さんが10分ほど法話をしてくださいます。法話の内容は、不滅の法灯についてが多いのですが、今日は、清らかな心について分かりやすくお話くださいました。
「朝の清々しい雰囲気に包まれた根本中堂の朝事を務められ、皆様の心は清らかなことでしょう。目を閉じていただきましてこのお気持ちを忘れないようにしてください・・」というお話の後、「目を開けていただき、もう一度目を閉じていただきます。私がお一人ポンポンと肩を叩きますので、その方は、私が読む難しいお経を覚えていただき一緒にお唱えします。よろしいですか・・皆さん目を閉じて・・」とおっしゃった後、グルグルと肩を叩く方を探しておられるようでした。その後、「では、皆さん目を開けてください。実は、私は誰の肩も叩いておりません。皆さんは、私が叩かれるのではないかとドキドキされたことと思います。ざわざわと心が騒いだことと思います。先ほど、清らかな心を忘れないでくださいとお話しましたが、私の一言で心が騒ぎ清らかさを忘れてしまいました。ドキドキさせるようなことを言ってしまいすみません。しかし、様々な状況によって、心は揺らぐものです。それは、時に怒りであったり、悲しみであったりすると思いますが、そのような心に囚われないよう、心を清らかに保つ努力が大切だと感じます。どうかもう一度目を閉じていただき、清らかな心でお帰りくださいますようお願いいたします・・」とても、心に残る法話でした。
清らかな心を・・と思いっていた私です。しかし、忙しい日々を送っている住職は、頭痛がひどくなり、「痛み止めはあるか?」と聞かれ、このまま痛みがひどくなり、嘔吐するようなことがあったら大変だ・・と、肩もみをして、年配の叔母さまから湿布を頂戴し、痛み止めを飲んでいただき、ドタバタすることですっかり清らかな心はどこかへ行ってしまいました。けれども、今日は、八坂神社で釜堀阿闍梨をお待ちし、御加持をしていただく予定です。清らかな心はそこで取り戻せる・・そんなことを思いながら、青蓮院門跡を拝観し、八坂神社へ・・様子が全く分からないので、20名以上方が足並みをそろえることができるのか心配でした。しかし、足の悪い方も、不思議な力が働いていたのだと感じずにいられませんが、スムーズに御加持を頂戴することができました。
昼食を食べた後は、京都御所を散策して宿泊先の湯の花温泉へ・・2泊目の夕食は無礼講なので歌を歌い大騒ぎです。しかし、団参に参加してくださっているお一人お一人の心には、大切な方々をお連れしていることを皆さん分かっておられます。大宴会ですが、娯楽ではなく偲ぶ心が会場いっぱいに溢れていました。
平成25年 東円寺団参
今年の東円寺の団参の先祖供養は、世界遺産の「中尊寺」でさせていただきました。一日目は、ひたすらバスを走らせて、鳴子温泉まで行きました。鳴子では、こけし博物館や、鳴子峡に行きました。鳴子温泉は最高でした。
2日目は中尊寺で御先祖供養です。団参に参加してくださる8割の方は、毎年参加してくださっているので、比叡山以外のお寺での先祖供養は、新鮮だったと思います。中尊寺貫主の山田和尚さんが出迎えてくださいました。また、法要後は中尊寺の歴史をご説明くださいました。どのような時代でも、人々の願いは平和です。平和を願い建立された中尊寺、中尊寺に平和を祈りお参りに来る多くの人々・・・時代を超えて仏様は、ただじっと私たちを見守ってくださっていました。
先祖供養が大きな目的の東円寺の団参ですが、今年はもう一つ大切な目的がありました。東松島市にあります万寶院というお寺のご住職とは、不思議なご縁がありました。3年ほど前「忍野八海ものがり」を作るために、地域活性をお手伝いしている方と知り合いました。その方のお知り合いが、東松島市で被災されて仮設住宅で生活されていました。一昨年の12月、知り合いと共に、娘と車で東松島市の仮設住宅を訪問させていただきました。多くの方から、体験談をお聞きしました。お話をしていると、「この仮説住宅は、ある方のお陰で、とても助けられているんですよ。天台宗のお坊さんでね・・」と。「えっ・・私のお寺も天台宗です。」万寶院のご住職とご挨拶を交わしました。
避難所には、行政から救援物資が届けられますが、非難されている人数分だけ物資がないと配給されなかったそうです。しかし、避難されている方々にすれば、数が足りなかったら皆で分ける・・・配給してほしいといくら頼んでも聞き入れてもらえない。万寶院のご住職は、行政ではらちが明かないからと、お寺関係や様々なつてを使い、その場を切り盛りしていたそうです。そのお話を伺い、同じ天台宗として誇りに思いました。
万寶院のご住職のお母様のご遺体は現在も見つかっていません。初めてお会いした時には、妹さんも行方不明の状態でした。ご自身も大変な精神状態の中で、避難されている方々の心の支えになったそうです。その後、天台宗の機関誌の記事で、ご住職の奮闘されているご様子を拝見させていただきました。
人のご縁は不思議です。東松島から帰って1ヶ月後、娘夫婦は、京都に住んでいる弟子のお兄さんに会いに行きました。京都駅でばったり、「万寶院のご住職にお会いしたので、挨拶したよ・・」と。それから1年、中尊寺に行くことが決まると、「東北に行くのだから震災についてのお話を聞けないでしょうか」というお話が出ました。そこで、万寶院のご住職にお願いのご連絡をすると快く受け入れてくださいました。
万寶院の仮本堂にご案内していただきました。4月の地蔵尊祭でのバザーの売上金と、皆様からお預かりしたタオル等をお渡しすることが出来ました。お寺を後にして、仮設住宅も案内していただきました。津波に流された体験談も聞かせていただき充実した時を過ごしました。
2日目は、盛りだくさんのスケジュールでしたので、皆さんお疲れになったようです。中尊寺での先祖供養、万寶院では東日本大震災の慰霊のため祈りを捧げました。
松島の一の坊というホテルに宿泊しました。ホテルからバスに乗る事5分で五大堂です。瑞巌寺にお詣りさせていただきました。ご参加くださった皆さんのお陰に、有意義な旅行ができました。
平成25年 東円寺団参 2日目
平成25年 東円寺団参 3日目
平成24年 比叡山団参
平成24年の東円寺比叡山団参は、今年も無事に比叡山の阿弥陀堂にて先祖供養をしてくることが出来ました。これも、先祖を大切に思う檀信徒の皆様のお陰です。
今年は、不思議なことの多い年でした。住職不在の団参は先代から想像しても初めてのことだったと思います。旅行先に連絡が入り、急ぎ戻るといったことは、これまでに何度となく経験しましたが、初めから参加できない事は異例です。
数年前まで、葬儀は自宅でした。葬祭場で葬儀をするようになると、お寺の都合ではなく葬祭場の都合に合わせるようになってきています。今回は、亡くなられた方の前に、葬儀が立て込んでいました。葬祭場の空きを待ち、葬儀をするまでの間があり、団参を待って葬儀をするのでは、身内が大変であるという理由から、御施主さんを尊重して、ご都合を合わせることになりました。
亡くなられた方は、先代と同級生でした。東円寺の一隅会員として、東円寺に尽力くださった方です。また、東円寺の団参にも、数多く参加してくださっていました。先代が亡くなると、ご自身も高齢のために引退されましたが、その功績は忘れはいけない事実です。
住職は、「法嗣の成長のため、一役買ってくださったのかもしれないな・・」と、東円寺団参に初参加でしたが、法嗣に代役をお願いしました。檀信徒の皆さんの声援のお陰に、立派に勤めることが出来たと思います。
お陰に先祖供養と、また、宴会も盛大にできましたことは、多くのご先祖様から守られている証拠であると思いました。
白川郷では、雪に降られて大変でしたが、それも旅の良き思い出になると思います。皆さんの笑顔から、団参の楽しかった様子が伝わると思います。